熾火

担当マスター:宇奈月めめめ
開始15/04/04 22:00 タイプショート オプションお任せオプションフレンドオプションEXオプション
状況 SLvB 参加/募集8/8(+7) 人
料金1500 分類日常
舞台国イタリア 難易度易しい

◆周辺地図
参加者一覧
志島 陽平(sa0038)K地 ラティエラ・テンタシオン(sb6570)A地 カーク・ルッフォ(sc5283)E風 烏ツ木 保介(sd0147)E風
カミーユ・ランベール(sf0920)A地 アメリア・ロックハート(sh1732)A水 ハルキュオネ・バジレア(sh3934)A水 エティエンヌ・マティユ(sj6626)E地
ダニエル・マッケラン(so1035)P地 マリク・マグノリア(sp3854)H水 ルナール・シュヴァリエ(sp6369)K水 アンナリーナ・バーリフェルト(sp9596)K風
エスター・ゴア(sq0475)K風 イーゴリ・トルストイ(sq0700)K地 ヒメコ・フェリーチェ(sq1409)K風
オープニング
●熾天使の祝祭
 2016年、3月初頭。ローマの街並みが色とりどりに飾られている。赤い飾り布、万国の旗、時計草をあしらった紋章旗。夕暮れの空を背に、風に吹かれて踊るように揺れる。
 その下を行き交う人々は、世界各地の様々な衣装を身につけている。皆笑顔だ。間近に迫ったその時――Festum Michaelis(ミカエルの祝祭)の開会を待ちかねているのだ。
 ミカエルの名を冠するこの祭は、表向きはローマの聖フランチェスカ・ロマーナの誕生日を祝ったもの――正確には、前年に聖フランチェスカ・ロマーナとミカエルの関係性を示す重大な史跡が発見された事を祝っての祭、という事になっている。
 だが実際は違う。SINN達の戦いに終止符が打たれておよそ一年が経過した事を記念し、ルークス教とその支援者たちが企画したものなのだ。
「しかし随分と大規模だな‥‥」
「ローマはルークス市国のお膝元ですよ? これくらい訳ないんです」
 お互いに招待され、たまたま鉢合わせたガブリエラ・リイナ(sz0031)とショウ・マルチェッロ(sz0058)の二人が、何ともなしに辺りを見て回る。街中の飾り付けは赤が多い。ミカエルを象徴する色。
「開催のタイミングも微妙だな。あと少しすればぴったり一年なのに」
「SINNの事情を知らない方を納得させるための苦肉の策だったみたいです。悪魔がすっかり滅んでも、彼らの存在や、魔法の実在なんかが秘密なのは変わりませんから。
 逆に言えば、少し無茶をしてでも、こうやって大々的に記念の祭典を開きたかった、という事ですね。ありがたい事です」
「‥‥そうだな」
 二人の脇を仮装した子供が駆けてゆく。それを追うように、ガブリエラは数歩小走りになる。
「それでは、私はこの辺りで」
「ああ」
「良いお祭りになると良いですね。お互いに」

●Festum Michaelis、スケジュール
・開会は3月8日の19時。閉会は明確にされていないものの、3月10日の朝が祭りの終わりとされる。

・開会前、ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂において、悪魔たちとの戦いにおいて命を落とした者たちを偲ぶ礼拝が行われる。
 SINNとSINN関係者のみ出席可能。

・19時、日本から招待された花火職人の大きな花火と共に、祝祭は始まる。
 思い思いの衣装を着た世界中の人々が列を組んでローマ市内を練り歩き、街の至る所に設けられた燭台に火を灯して回る。また、海岸では日本方式の花火大会が行われる模様。
 初日はそのまま深夜まで歌い踊りのお祭り騒ぎになるだろう。

・二日目、3月9日の昼ごろから、ローマ各所に設けられた燭台の前で紙が配られ始める。参加者はその紙に願い事を書き、燭台の火の中に放り込む。

・3月9日の夕方、人々の願いが託された燭台の火をいくつかのタイマツに分けて、ボートに乗ってテヴェレ川を下り、海岸へと運ぶ。
 運び手は立候補制だが、SINNならば確実に運ぶ事ができるだろう。
 到着後にタイマツを海岸に等間隔に並べる。海風によって全てのタイマツが消えた時、火に託された全ての願いは神の元へ届けられたとされ、それをもって祭りは閉会となる。


●ローマ観光指針
・リプレイ内で描写可能な時期は3月8日から3月10日まで。
・宿泊施設はそれなりに融通を利かせてくれる。主な選択肢は、観光に便利な市街のホテルか、海岸を臨む海沿いのホテル。どちらもオープンデッキのレストランバー付き。日付によって変更する事も可能。
・祭りなので食べ物や土産物には困らないが、復活祭を間近に控えているからか、卵型のチョコレートや白い鳩型のケーキなどお菓子類が目に付く。
 一方で、歩いて食べやすい四角切りのピザなどの定番メニューももちろん欠かさない。土産物は、ミカエルをフィーチャーした金と赤の装飾品や護符などが目立つ。
 ミカエルの護符には、危機から所持者を守る効果があるとされ、特に警察や救急隊員などを守るのだとか。

・祭りとは関係ないが、3月8日は「女性の日」であり、男性が恋人や伴侶へミモザの花、あるいは花束を贈るのが風習とされている。
・3月9日は聖フランチェスカ・ロマーナの没日であり聖人の祝日である。この日のみ、聖フランチェスカ・ロマーナの聖堂が開放される。
 彼女は良妻賢母の模範としての聖人として知られ、聖堂内には肖像画が飾られ、また彼女由来の護符などが販売されている。


◆マスターより

 こんにちは! 火の弾ける音が好きなMSこと宇奈月めめめです。今回もよろしくお願いします。
 このシナリオは後日談シナリオであり、2016年の3月8日から3月10日までが描写されます。また、シナリオ内で手に入れた道具等がアイテムとして入手される事はありませんので、ご了承ください。
 それと、もし私所有のNPCに御用ならば、その旨を明記してください。適切に判断し対応します。

 色々とイベントが書かれていますが、当然、全てに参加しなければいけない訳ではありません。
 お一人ででも、友達同士でも、あるいは恋人同士や夫婦同士、もしかしたら新婚旅行代わりとしてでも‥‥これをやりたい! というのを自由に決めて来てください。
 これがSINNでの、正真正銘最後のシナリオです。皆さんのSINNとしての日々に、悔いややり残しが残らないよう祈っています。

 それでは、皆さんの応募をお待ちしています。
リプレイ
●過ぎ去りしものへ
 満たす。夕陽に照らされた聖堂を祈りが満たす。ある者は聖書を手に司祭の唱える祈りの言葉を追い、ある者は瞑目し厳かに詠い上げ、ある者は言葉もなく無心に祈る。その祈りに一つとして同じ物はなく、しかしすべての祈りは同じ方角へ向かい流れる。
(皆熱心なもんだねえ)
 そんな周囲の様子を、ルナール・シュヴァリエ(sp6369)は細目で眺めていた。もちろん、他人に見咎められないよう礼拝の姿勢は保っている。
(オイラとしちゃ、知り合いやコイツが生き残ったので十分なんだがね)
 元より他人に無関心な性。今日ここにいるのも、誰より愛しいアンナリーナ・バーリフェルト(sp9596)の付き合いに過ぎない。
 アンナリーナはそんな彼の内心を知ってか知らずか、ただただ祈る。それは犠牲になった全ての人のため‥‥とりわけ、聖戦機関に勤めて死んだ父のために。家族を思い祈っていたのは、ヒメコ・フェリーチェ(sq1409)も同じだった。
(お父さん‥‥お母さん)
 右足の痣を意識する。母からは獣の特徴に、父からは翼を、そして二人から誇りを受け継ぎ、彼女は戦い抜いた。その感謝を改める。
(皆の力があって、平和になったのです‥‥ありがとう。どうか、やすらかに)
 その隣では、志島 陽平(sa0038)も同じく。
(‥‥いろんな人のおかげで、今こうしていられるんスよね)
 例えばそれは、今まさに隣で熱心に祈っている恋人の両親の事。戦いの中で彼女と出会い、絆を育めたのも、その二人が出会ったおかげだ。
(知らない人だったり、知ってる人だったり‥今はいない人達のおかげもあって)
 そういうものへの感謝に代え、彼は祈る。烏ツ木 保介(sd0147)もまた、感謝を胸に祈る。彼の意識には、かつてモンサンミッシェルを巡る戦いの中、幽霊艦『愛宕』で殉職したエクソシスト達があった。自分たちの力が及ばず、命と引き換えにアンカリオを閉ざした彼ら。笑顔で死んでいった彼ら。
(‥‥あの日の記憶と、それから続いた暗い感情には、ずいぶんと長く苦しめられた。だけど苦境での支えにもなった)
 きっと、彼らの魂の一部があの日から共にあったのだろう、と保介は考える。エクソシストとしての己を支え、導いてくれたのだと。だから今日は、彼らに別れを告げるのだ。ここまでの感謝と共に。
(どうか、主の元でその魂が安らかにあるよう‥どうか)
(すべての魂が‥‥神様の許で平安でありますように)
 ハルキュオネ・バジレア(sh3934)もそう祈っていた。その背には微かに青い翼が浮かぶ。すべての散った命、神様の許へ召された魂に祈りと祝福を‥‥そして彼らを許せし神様には、感謝を届ける。澄んだ意識の中、少しだけ両親を思い出しながら。
 ラティエラ・テンタシオン(sb6570)とショウ・マルチェッロ(sz0058)も肩を並べ、そっと祈りを捧げていた。
(あの戦いからもうすぐ一年‥‥何もかも解決した訳でなくても、人々が悪魔に脅かされる事のない平和な日々が訪れて、本当に良かった)
 常に胸に抱いてきた主への感謝をいっそうに強めるラティエラ。これまでの道程を思い返せば、それは常に犠牲と隣合わせの物だ。
(‥どうか、命落とした仲間たちの魂が安らかでありますよう。そして祈る私達の行く末が平穏でありますよう‥‥これからも私達をお導き下さい‥‥!)
 カーク・ルッフォ(sc5283)は『冥鍵』と呼ばれた伝承のナイフを手に祈る。CROSSとしての機能を兼ね備えたそれを手に想いを馳せるは、悪魔の犠牲者たち。任務で命を落としたもの、利用されたもの、死してなお囚われたもの――
(キニスの晴れた今、魂が囚われる事もないだろう)
 自身が事件を通して関わってきた者たちの事も想いながら、カークはその魂の安らぎをただ祈った。
 やがて聖堂を完全な静寂が満たす。司祭の祈りの言葉が終わった事にエティエンヌ・マティユ(sj6626)は気付いていた。しばらく静かな祈りの時間を経て、司祭が礼拝の終わりを告げる。控えめなざわめきと共に、聖堂にいた人々が身じろぎし始める。
「‥やっと終わりましたか」
「そうだね」
 くたびれた様子のマリク・マグノリア(sp3854)に頷き返すエティエンヌ。自分を真似るように祈っていたのは確認していた。
「付き合わせてしまったかな。済まないね」
「いいんです。ってか、言ったでしょう。今回こそあんたの希望を優先するって。毎度毎度俺の好みばかり優先してんですから」
「ん、そうか‥なら、私の希望でここに付き合ってもらったのは、結果的にマリクさんの意向に添えたという事かな」
「‥‥‥はぁ」
 並び歩き始める二人。エティエンヌは密やかに笑ってみせる。
「言ったじゃないか? 明日の朝までには考えるってね」
「分かっちゃいますがね」
 Festum Michaelisをエティエンヌの希望に添って過ごしたい、というのはマリクの提案だった。いつも何だかんだと言って自分に合わせてくれる友人のために。もっとも、エティエンヌの方はまず何より人の為な性分ゆえに、自分の希望もわからず考えこんでしまうような有り様だったのだが。
 あれこれと話しながら立ち去る二人に続き、保介とハルキュオネ、ダニエル・マッケラン(so1035)も聖堂を後にする。
「熱心な祈りっぷりだったな」
「ええ、まあ‥‥ダニエルだってそうでしょう?」
「ああ。だが俺は所詮手習いだ。お前とは違うさ。保介神父」
「や、やめてくださいって」
 据わり悪く頭を掻く保介。聖堂の外、夕陽に燃える空の色は、戦火とは違う、暖かな紅だ。ダニエルは目を細める。
「あれから一年だ」
「ですね」
「SINNとしてローマに籍を置いてはおいたが、全く張り合いも何もない。敵なんて出る訳がないから、当然なんだがな。このままでは鈍ってしまいそうだ」
 そう言いつつも、ダニエルの横顔に憂いはなく、どこかさっぱりとしているように保介には見えた。
「二人はどうだ。この一年、どうだった?」
「特に変わりありません‥ってのも変か。まあ、退屈なりにエクソシストやってますよ。今の所はね」
「あたしもー。あんまり変わんないよ。でも、たのしい事お祈りするの増えたかなー」
「何より」
 三人はこれまでとこれからの事を話しながら、賑やかな街並みへと向かう。変わらず静粛なれど、風通しの良くなった聖堂を後にして。

●光る空の下
「見てよ、イーゴリ! ほらこれ。何だと思う?」
「‥‥‥?」
「卵のカラの帽子だってさ。あははっ」
 祝祭に湧く街並みを、エスター・ゴア(sq0475)とイーゴリ・トルストイ(sq0700)は連れ立ち歩いていた。エスターは目ざとく物珍しげな品物を見つけては覗きこむ。イーゴリはそれに続く。昼からずっとこれだ。
「いくらイースターが近いからって、こんなの、ね?」
「しかしよくできてるじゃないか。どれ、私も一つ。君と揃いだ」
 揃って丸っこい帽子を被る事になるエスターとイーゴリ。互いに笑い合う。
「SINNになって故郷を離れてから色んな物を見たり体験できたりしたけどさ。まだまだ珍しいものばかりだよね」
「ああ」
「祭りなんて特に新鮮だよ。その土地ならではの文化や歴史とか、感じられるよね」
 二人の脇を仮装した子供たちが駆けてゆく。エスターがそれを目で追うが、人混みにすぐに紛れてしまった。

「わあ、煌びやかですね‥!」
「戦いから一年を記念しての祭典なんて、粋な事してくれるよな」
 大きめのバッグを持ったカミーユ・ランベール(sf0920)とアメリア・ロックハート(sh1732)の横を、仮装した子どもたちが駆けてゆく。
「子供たちもあんなに元気で、街中活気で溢れてて‥‥ふふ。なんだか私もわくわくしちゃう」
「楽しんで行こうぜ。新婚旅行も兼ねてさ!」
「うんっ‥目一杯楽しもうね!」

「もっきゅもっきゅ。うまーい!」
「ははは、相変わらず良い食いっぷりだ」
「肥えますよ」
「ぷー。‥‥あ、おーい!」
 ダニエルの買った肉をひとしきり味わったハルキュオネが、道路の向かいに手を振る。そこにいたのはカークとガブリエラ・リイナ(sz0031)だ。ガブリエラは手を振り返し、左右を確認してカークと共にやってくる。
「こんにちは。楽しんでますか?」
「おいしかった!」
「それは何より。‥‥方角的に、あっちのケバブか?」
「ああ。カークも食べたのか?」
「少し。美味しかったな」
「ねー!」
 五名は合流し、取り留めなく祭りの街並みをぶらつく。ダニエルに加えてガブリエラもハルキュオネに食べ物を買い与えたりして。
「‥あんな事があって、一年か」
 しみじみとこぼすカーク。ダニエルも頷く。
「ついさっきもそんな話をした。全く、どうもやり甲斐のない一年だったな」
「一年。随分経ったようにも、この間の事のようにも感じるな」
 それはカークの中で、一年前の戦い‥‥正確には、3月13日までの戦いの日々の事がしっかりと残っていて、それでいてそれから大きく変わった現状を実感してもいるからだ。いや、実感しないSINNなどいないだろう。この祭りを訪れた者であれば。友人も連れてこれれば良かったな。
「悪魔の見えぬ人々にとっても、黒い霧が晴れて一年、か」
「俺達はまだ魔法も使えるんだ。だってのに、キニスも晴れてもはや振るう相手もいない‥人間の犯罪者、というより、いるかどうか分からん異端相手くらいか」
「戦いのための物が役目を見失うなんて、良い事じゃないか」
 その言葉に、ダニエルは肩を竦めるだけで返した。
「ねー、あれ何?」
 ハルキュオネが指差す先には人だかりが見える。
「どれどれ? ‥‥あ、聖フランチェスカ・ロマーナの聖堂ですね」

 黒の礼拝服に白のベールを被った女性が、医学書を手に前を照らしている。信仰深く、裕福な身でありながら己の財産を人々のために捧げ慈善活動に心血を注いだ聖人、聖フランチェスカ・ロマーナの肖像画である。隣のフレスコ画に目を移せば、慈悲深い笑みを浮かべて赤子を抱く姿。
(彼女は家族を守り、貧しい人々を守り、そして神に祈りと人生を捧げた‥‥)
 入場制限のため、聖堂の内部はそこまで混雑していない。ここを訪れた多くの他の女性たちと共に、ラティエラは祈る。
(良妻賢母の模範‥私も、そうある事ができたら良いな‥‥)
 ――数分後、彼女は聖堂を後にした。その姿を認め、外で待っていたショウが軽く手を振る。
「ごめん、お待たせ」
「構わない。それが例の護符か?」
「うん。今の気持ちをずっと忘れないように、と思って」
 肩を並べて歩き出す二人。開会を間近に控え、往来はさらに混み合い始めた。ラティエラの手を握るショウだが、逆に手を引っ張られる。
「どうした?」
「その、あっちで‥ショウにも」
 彼女が向かった先には、ミカエルの護符が並べられていた。本格的に混みあい始める前に手にしておきたかったのだ。購入し、ショウに手渡す。
「はい、これ。一緒にいられない時も、ショウを護ってくれるように」
「ああ、ありがとう。‥ラティエラには、色々な物を貰ってばかりだな」
「良いんだ、そんな事。私もショウからたくさんのものをもらってるから」
「そういうのを数え始めると、尚更僕の立つ瀬がないんだが」
 話しながら、くすくすと笑い合う二人。手を繋ぎ直す。
「そうだ、ハーナの近況はなにか聞いてる? また会えたら嬉しいのだけど」
「元気にやってるよ。羨ましいくらいに頭が良い‥‥今度はスペインに留学するそうだ。政治史を学ぶとかで」
「本当? じゃあ、会いに行ってみようかな」
「そうしてくれ。きっと喜ぶ」

●夕空鮮やかに
「じっとしてな」
「ん‥‥」
 夜。海岸にほど近い公園のベンチで、アンナリーナのふわりとした髪をルナールの指が梳いていた。少し手こずりながらも、髪の合間にそれを挿す。
「よし、できた」
「んっ。どう? ‥‥ちょっとくすぐったいかも」
 それは黄色く小さな花が連なったミモザの房だ。女性の日ということで買ったは良いが、人混みの中で彼女に着けるには少々骨が折れ、落ち着ける所への避難を優先したのだ。アンナリーナの頭の動きに合わせて、鮮烈に黄色いミモザの房も踊る。健康的なブラウンの髪は日差しの下の土のようで、春が形になったようだ。
「ルナールも座ってよ。ここから花火、見ましょ?」
「そうするかね」
 アンナリーナの隣に腰を下ろすルナール。ようやく人心地ついた気分になり、帽子を押さえて夜の空を見上げる。オレンジ混じりの黄昏空は小さな星々を抱いている。買い込んだ食べ物をアンナリーナが開けたのか、食欲をそそる匂いが漂ってきた。ふと安堵の溜息が漏れる。
「‥‥ホント、生きてて良かったわ。こうやってアンタの隣で」
「ん? どうしたの、いきなり」
「いや、時期が時期だからよ。一年前の事、思い出して。それなりに無茶したからな」
 アンナリーナはぱちりと瞬き、それからむっと頬を膨らせる。
「ほんとよ! まさか血を吸われに行くとは思わなかったもの!」
「まぁアンタも一緒にいたし、そんなには不安はなかったがな」
「私はヒヤヒヤした!」
 けれど、とアンナリーナは息をつき、頬を収める。
「‥でも‥私も貴方と一緒だったから、頑張れたわ。結局上手くいったんだもの。終わりよければ全て良し! 私も無茶したしね」
「そうそう。そういう事で頼むわ」
 それから二人は、肩を寄せ合い食事を楽しむ。少しずつ暗くなっていく空。けれど二人は変わらぬ温かみの中にある。
「アンタがいなかったら、オイラは此処に居なかっただろうな」
「良かった。これから始まる花火の本番が見れないのなんて、もったいないものね。開会式のも綺麗だったのに、それよりすごいって言うんだから!」
 もぐもぐと食事を進めるアンナリーナに、ルナールはつい笑ってしまう。こうやってここに来る以前に、こうして生きている事すらきっと愛する伴侶のおかげだろう。
 どこからか鐘の音が聞こえた。夜七時だ。

「いろんな衣装の人がいたな」
「うん、楽しかった‥!」
 花火の始まる少し前、アメリアとカミーユも海岸に到着した。あらかじめ調べておいたベストポイントだ。周りにも多くの人がいる。柵に手をかけ寄りかかる。
「思い出すな。ほら、アメリアと一緒に行動するようになったのは、一緒に仮装をしたのが切欠だっただろ?」
「そうだね。二人で」
「あの時はお前と結婚までするって、全く思ってなかったぜ。世の中分からないもんだよな」
「そんなの、私だっておんなじです。あの頃は本当に、全然」
 口にして、頬が熱くなるのを感じる。そう昔の事でもない。当時の自分に、こんな未来を告げたらどうだろう? ‥‥絶対に信じられなかっただろうな。
「それでだ。これ」
「え?」
 そう言ってカミーユは、持参していたカバンから包装された包み紙を取り出した。包装を取り除き、アメリアに差し出す。ミモザの花束。
「今日は女性の日だ。最愛の伴侶にこれを渡すのが風習なんだ。受け取ってくれるよな」
「‥‥ふふ、ありがとう」
 その花束を、抱きとめるように受け取るアメリア。ミモザの花言葉を思い出す。友情。秘密の恋。優雅さ。愛の贈り物にしては、少し意味がばらついている気もするけど‥‥
「あっ、ほらアメリア! 花火が上がるぜ!」
 カミーユの声に引かれて、空を見る。打ち上げ音の後、夜空に広がる大輪の花。
「わぁ‥」
「すごいな‥!」
「うん、本当に綺麗‥‥夜空に咲く花って感じですね」
 花火は次々と打ち上げられる。カミーユはアメリアの腰に手を回し、抱き寄せてきた。少しだけ寄りかかる。
 ひと通り立て続けに打ち上げられると、空が静まった。固唾を呑んで見上げていたアメリアも息をついて、何となしに周りを見回す。辺りにはカップルの他に家族連れも多い。その中でも、鮮やかな黄色のミモザはよく目につく。それは花束だったり、一輪の花であったり、あるいは装飾品であったりしたが――
(ああ)
 すとん、と腑に落ちた。花言葉なんて関係ない。ミモザを贈るのは、そういう風習があるからだ。それが当たり前だからだ。当たり前の日々の中の、当たり前の行事。
 かつての自分からはもっとも遠い物だった、当たり前の愛のかたち。
「アメリア?」
「ううん」
 カミーユに悟られないよう、そっと眼尻を拭う。
「ねえ‥こういう時じゃなくても、今度は私からあなたに、何か贈りたいな。良いかな?」
「へへっ。そんなの大歓迎に決まってるだろ。楽しみにしてるぜ」
「うん」
 また花火が上がり始める。大好きな人と花火を見上げる。当たり前の幸せをアメリアは噛みしめる。

「ほらっ陽平! 始まっちゃうのです!」
「っとと、あんまり焦ると転んじゃうっスよ!」
 陽平が手を引かれるような格好で、二人は人混みを抜ける。花火に合わせてヒメコは桜柄の訪問着で、陽平は長着。ヒメコの帯を留めるミモザのブローチは、陽平からの贈り物だ。翌日も動く事を考え‥‥というよりは、長く身に着けてほしいから、こういう形にした。
「やっぱり混んでますね」
「うう、着付けに手間取っちゃって‥‥済まないっス」
「良いのです! 二人でおめかしできて、嬉しいのです」
「バベルスモールで写真撮影した事を思い出すっス」
「そうですね。思い出すのです、いろんな事‥‥」
 花火の打ち上がる音に、観衆がざわつく。揃って夜空を仰げば、色鮮やかな火の花が空に開いた。ぎゅっと陽平の手を握り、歓声を上げるヒメコ。
「わぁ‥綺麗! すごいのです! 今日見たいろんな国の衣装みたいなのです。‥‥前もこうやって、海の傍で花火を見ましたね」
 ヒメコは陽平に寄り添い、その肩に頭を預ける。陽平にしてももう随分と慣れた感触なのだが、それでも少し強張ってしまう。もちろんそれ以上に、幸せな気持ちだ。
(あの頃からずっと、ヒメコは陽平と一緒にいるとドキドキしたり安心したり‥‥)
 それはヒメコも同じだった。幸福のリフレインで胸の中がいっぱいになる。
「ヒメコさん」
「‥えへへ。素敵な事、思い出せたのです」
 いくつもの花火に照らされる二人。言葉は要らない。二人は寄り添い続ける。

「この辺りにも色々出店があるね」
「ああ。皆、夜通し騒いでいるみたいだね」
 タマゴ帽子のエスターとイーゴリは、ひとしきり花火を見物したあと祭りの見物を再開した。空を眺める人々の合間を抜けていくのは、人目を避けて悪戯をしているようで、何だか楽しい。
「なんだか雰囲気、良くなってきたよね。このくらいの時間帯が好きなんだよな。夕方から夜にかけて」
「ああ。だから私も、今日は午前まで12時間も眠っておいた。準備は万全だ」
「うわ、気合い入ってる」
 エスターは夜空を見上げ、目を細める。
「‥‥いいよね。少し離れれば暗闇なのに、こうして騒がしくて。夜が奴らの時間だけじゃないって感じでさ」
「奴ら‥か」
 ふと、イーゴリの手が髪に触れる。エスターが振り返ると、すぐ近くまでイーゴリの顔が迫っていた。息を呑み、慌てて一歩引き下がる。
「ああ、驚かせて済まない‥ほら、髪に」
「何か付いてた?」
「いや、付けたんだ。エスターには紫かとも思ったんだが、今日ばかりはね。良く似合ってる」
 イーゴリの触れていた所に手をやると、ふさっとした草花の感触。ミモザの花房だ。いつの間に買っていたのか。
「‥ありがとう」
「いいんだ。ほら、まだ夜は長いよ」
 そう言って歩き出すイーゴリの横顔を、エスターは穏やかでない気持ちで見つめていた。今日の彼は、何か違う‥‥

「綺麗」
「ああ」
 こんな短いやりとりばかり、何度繰り返したろう。万色に爆裂する夜空の花を、ルナールとアンナリーナは互いの手を握って見上げていた。
(そうだ。この花火の色だって)
 ふと胸に去来する、過去の日々。愛するものを失った色褪せた世界。あんな日々の中でこの花火を見たって、こんな気持ちにはなれなかっただろう。絶対に。
(オイラはもう、コイツ無しじゃマトモに生きていけねぇんだろうなぁ)
 花火に見惚れる横顔を見つめる。アンナリーナがちらりとこちらを見た。
「どうしたの?」
「アンナリーナ。アンタに出会えて、本当に良かった」
 自然にこぼれた言葉だ。アンナリーナもルナールの方を向いた。その頬を朱に染めて。
「きっと神様のお導き、ね。ルナールに足りない物を私が、私に足りない物をルナールが補って、お互いが持つ物は倍以上になるように」
「そうか」
 内心、神の事なんてどうでも良かった。ただ目の前の女が愛しかった。彼女の腕が伸びてくる。見つめ合いながら、抱きしめられる。
「ルナール」
「ああ」
「私もルナールに出会えて本当に良かった」
「‥ああ」
「私はとても幸せよ」
 言葉も出ない。藻掻くように抱き返す。
「愛してるわ‥、っ」
 その唇を塞いだ。どんな言葉でだって足りないのだから、そんなものは不要だ。アンナリーナもそれ以上語らず、幸福な愛の感触に意識を浸す。周囲の人の目など、気にもならない。恥ずべき事など何もないのだから。
 花火が上がる。二人だけの夜に、音響と鮮やかな光が降りかかる。花火は続く。二人は離れない。花火が終わっても、永遠に。

●夜の帳
「すごかったね、花火」
「ええ」
「日本でも見たけれど、離れるほどに光と音とに隙間が生じるのだね」
「速度が違いますからね」
 人の流れに乗るように、エティエンヌとマリクは海岸から市街へ向け歩く。開会の花火が終わり、街並みの祭りは一層の盛り上がりを見せてくる。とはいえエティエンヌに、それに混ざろうという気持ちはなかった。
「‥俺に気をつかってるんじゃないでしょうね?」
「元々、祭りに混じって騒ぐような性分でもないよ」
 もちろん、人混みが苦手そうなマリクの事も考えての事でもあるけれど。

 深夜、遊び疲れた身体を支え合ってイーゴリが取っておいたというホテルに向かったエスターは、ドアの前で思わず立ち止まった。
「えっと」
「同室だ」
 カードキーでドアを開くイーゴリ。虚を突かれ立ち尽くすエスターの手を引き部屋に連れ込む。閉まる扉。オートの電子施錠。鍵はイーゴリの手にある。
(‥交際を開始して一年以上になる。神学の徒として、誰にも恥じない清い関係を築いてきたつもりだ)
(エスター。キミの気持ちを確かめたい)
「ねえ、イーゴリ。これは」
「エスター」
 普段と違う彼の声に、エスターも固唾を呑む。次ぐ言葉も早くに出た。イーゴリにとっては、長い時間をかけて確かに固まった気持ち。躊躇は必要ない。
「キミと末永く、共に在りたいと考えている。それでも私と交際を続けてくれるかい」
「それ、って」
「私と結婚して欲しい。愛しているんだ」
 時間は止まらない。沈黙した二人の間、時計の秒針の音が流れ続ける。
「えーと、その」
 沈黙を破ったのはエスターだった。逸らした視線に、イーゴリから贈られたミモザの花飾りが触れる。
「‥返事は明日でも、いいかな?」

●願いは火に集う
「私の行きたい所、見たいものを考えてみたけれど」
 ホテルでの朝食の最中、エティエンヌが思い出したように話し始める。
「決まりましたか? 無いなんて言い出したら、籠城も辞さないですよ」
「それは困るね。‥‥折角のお祭りだから、名所よりも人を見たい」
「人?」
「楽しそうに過ごしてる人を見るのが好きなんだ」
 その言葉に目を細めるマリク。結局、彼はどこまで行ってもまず他人なのか。とはいえそれも彼の美点だし、何より彼の望みだというなら。
 ‥‥繰り出した街並みは、変わらず賑やかだった。夜通し盛り上がった余韻をそのまま引き継ぎ、祝祭は休みを知らない。
「こっちの道に入ろうか。表通りはちょっと落ち着きに欠ける」
「ええ」
 人混みを避けて道を決めるエティエンヌ。マリクは人心地ついて小さく息を吐き、周りを見る。少し縦長の球形がいくつも、カラフルに塗られ売られている。
「‥タマゴ?」
「復活祭、イースターが近いからね」
「ああ、卵にペイントするんですよね、確か‥‥日本じゃ馴染みがないですよ」
 聖獣っぽいパペットに屋台骨を渡らせ、それとなく観察しつつ歩く。SINNとして国外を行く事は多かったが、やはりまだまだその生活に関する知識は乏しい。
「欧州じゃ何処も、賑やかにやるんですかね?」
「クリスマスには少し負けるくらいかな。家庭でも、宝探しみたいな感じで卵探しをする事がある」
「はあ‥‥そんな事も」
「興味があるのかい?」
「まあ」
 返事を濁すマリク。欧州企業への就職も念頭に置いている彼の興味は、欧州での慣習周りにも向いている。
「‥おや、何だろう。あれは」
 エティエンヌが視線を向けた先には、ちょっとした人だかりがあった。マリクはパペットを走らす。
「燭台と紙、ですね。あれ、あそこにいるのは‥‥」

「やあ」
「どうも」
 タイマツの運び手に立候補し、燭台の一つの管理を任されたカークの前に姿を表したのは、マリクとエティエンヌだ。会釈し、願い事をくべる手順を説明する。
「願い事ねえ。ウチの神さんにも、そうしないんですが」
「神?」
「ああ、神社なんです。ええと‥‥」
「日本のか。それなら分かる」
 友人の国の文化に、カークはいくらか通じていた。二人は迷い、互いに互いを横目で伺いつつ、筆を進めていく。マリクは『エティが素直になりますように』。エティエンヌは『マリクの健康と成功』。
「別に困りはしないけど、中身を見せたりした方が?」
「いや、大丈夫だ」
 かぶりを振るカーク。誰かを思う願いも、私欲の強い願いも、生命や生活に不安のある状態では抱けなかったものかもしれない事を考えれば、どんな願いも等しく平和の証だ。カークはそう考えていた。
「‥あの、俺、今日はあんたの希望通りにやって欲しいって言いましたよね。なのに何ですか、あの願い事は」
「見えたのか。別に良いじゃないか。あれは間違いなく私の希望だよ。マリク、君こそ‥‥」
 言葉を交わしながら去っていく後ろ姿を、カークは微笑と共に見送る。自身の願いを思い出した。『平和な時間がこれからも続くように、愛する人、親しき者と共に歩めるように』――

 カミーユとアメリアもまた、燭台を前にしてしばし悩んでいた。
「さて、どんな願い事を書くとしようか‥‥」
「‥あんまり考えた事、なかったかも」
 カミーユの横顔を見る。その表情は真剣そのものだ。アメリアも改めて目の前の紙に向き直る。
(だって、あなたと一緒にいたい‥‥っていうのは、もう叶ってるから)
「‥こうかな」
 考えた末、アメリアは記した。『あなたとこれからも一緒にいられますように』。
(アメリア、言ってたよな。家族が欲しい、って)
 カミーユも程なくして書き終える。『アメリアと暖かい家族が作れますように』
(‥‥ずっとアメリアと寄り添っていける存在になれるように)
「あの、書き終えました?」
「おう。さ、くべに行こうぜ!」

 一晩を何事もなく過ごしたエスターとイーゴリも、やはりそれぞれに願い事を考える。
(すべてのヴァンパイアが滅びる事、なんて、色気がないかな)
 一年間、ほとんど音沙汰もなかったとはいえ、まだどこか闇深くに潜伏している可能性は否定しきれない。悩んだ末、隣の男に目を向ける。
「イーゴリはなんて書くのかな?」
「クドラク達が本当に救われる事だ」
 そこに迷いはなかった。
「未だ夜魔の呪縛の下にある同胞がいるなら、見つけ出しその鎖を断つ。呪いが解かれても、彼らが社会に戻るのは容易ではないだろうが‥いつか光を差す。願い、というよりは誓いだね」
「‥‥そうなんだ」
「ああ。私のSINNとしての使命は終わっていない」
 その毅然さを前に、色気がない、なんて考えてしまった自分が少し気恥ずかしくなる。他方で、こうも思う。
(それなら、僕は)
 これで良いじゃないか。『今みたいな楽しい時間がこれからも続くように』。色気のない願いは、イーゴリの誓いが果たしてくれる‥‥ううん、一緒に果たせば良い。
「ねえ、イーゴリ」
「何だい」
 願いを火に託し、二人その場を離れる。人通りの少ない道端。やっぱり色気がないかなと思いつつも、それでいいんだと思い直す。
「僕はクレスニクとしてヴァンパイアを倒す事だけ考えてきた。けど、それ以外の道も、もう少し考えてみようかな、なんて思うんだ」
 張り詰め続ける必要なんてない。胸に抱く使命を忘れる事はない。彼が一緒なら。
「‥だから、キミの気持ちにはイエスと答えるよ。これからも、その。‥‥宜しく」
 返答はなかった。ただ固く暖かな抱擁が、エスターを包み込んだ。

●熱
 願いに燃える火が川の流れを進む。人の漕ぐボートの上、人の手に支えられて。夕暮れの風に春の温もりと火の熱を感じながら、ラティエラはじっとボートの進む先を見つめていた。川岸には多くの人々が見える。
(‥‥大丈夫)
 その火にはラティエラとショウの願いも託されていた。『この世界にいつまでも人々の平和と笑顔がありますように』『この世界に少しでも多くの平和と笑顔がもたらされますように』。
(皆の願いは、主の御許へ必ず届く)
 また別のボートでは、カークが松明を掲げていた。川岸のほど近くを進むその上からは、人々の様子がよく見える。火に向けて手を振る子供。写真を撮る観光客。じっと見つめる者たち、祈る者たち。意識を向けない者だっている。
(‥‥この全て、きっと、一年前では得られなかったものなんだろうな)
 街並みに霧はなく、空にも曇り一つ無い。穏やかな春の中、願いの火は進む。

「俺達の願いをくべた火が並んでるな」
「はい‥」
 海岸。並べられる松明を、カミーユとアメリアは寄り添って見つめていた。海に至った火の列を、夕陽が照らし出す。
「‥願い事。私、あなたとこれからも一緒にいられますように、って書いたの」
 夕陽に染まったアメリアの髪が海風になびく。
「カミーユさんは私の恩人だから。私の人生を180度変えてくれたのが、あなただから」
「アメリア」
「SINNになってなかったら、きっとこんな事もなかった‥‥だから、感謝してる」
 ちらりとカミーユを見て、アメリアはくすぐったそうに笑う。
「えへへ。改めて言うと照れちゃうかも‥」
「‥俺もさ。ありがとな。お前と一緒になれて、本当に幸せだと思ってる」
「うん」
 その頬にカミーユの手が触れた。近付いてくる碧の瞳をじっと見つめる。
「これからも‥ずっと一緒にいようぜ」
「もちろん、です。黙ってどっかに行ったりしたらいやだよ?」
「行かねえよ」
「行くなら、私も一緒に行くから。‥どこへでも。連れて行って、私を」
 唇は唇で塞がれて、それ以上言葉を発する事はできなかった。

「今日は陽平の大学合格と高校卒業のお祝いなのです!」
 海岸を臨むレストランの予約席で、ぱちぱちぱち、と拍手するヒメコ。陽平は照れくさそうに頭を掻く。
「何だか恥ずかしいっス」
「陽平が頑張った成果なんだから、胸を張るですよ!」
 火の列を眺めながら食事を進める二人。途中、昨日のお返しにとミカエルの護符を陽平に手渡したりして。
「あの火に、皆のいろんな願いがこもってるんスよね‥‥」
「そうですね‥陽平は何を願ったんですか?」
「俺っスか? 俺は『ヒメコさんと一緒に、これから先もいろんな事に挑戦して、いろんな物を見られますように』って」
 それを聞き、ヒメコはぱっと笑顔になる。
「嬉しいです! これからも二人でいろんな景色を見て、いろんな挑戦していきましょう!」
「悪魔や吸血鬼の事件もほとんどなくなって、無事受験勉強も終わったから、これからはもっとヒメコさんとの時間、作れると思うっス‥というか、作るっス」
「はい!」
 ‥‥食事を終えると、陽は沈み、夜の海岸を願いの火が照らし出していた。二人はデッキへ出る。繋いだ手の温かさが幸せだ。
「陽平はあったかくて優しくて‥ヒメコは陽平と出会えて、本当に嬉しいのです」
「俺もっスよ」
 灯りは次第に小さくなり、一つ一つ消えていく。どこか寂しい風景は、しかし神様へ願いが届いたという証。
「きっと願いは叶います、ね」
「‥そうだ。ヒメコさんは何をお願いしたんスか?」
「『これからずっと二人一緒にいられますように』、です」
「そうっスね。大学の間はまだそれぞれって感じかもっスけど、卒業したら一緒に‥あ、いや」
 半ば流れに任せるように口走った自分の言葉に、つい慌てて僅かに赤面する陽平。
「何でもないっス、ってか、まだ先の話っスよね」
「先の話ですか? ヒメコはいつでも陽平の所に行けるように、ニホンの言葉や文化をお勉強しておくのですよ」
 さも当然という風な言葉に、陽平はぱちりと目を丸くする。その様子がおかしくて、ヒメコはくすりと笑った。
「陽平、大好きなのです」

「火、消えてくな」
「ああ。願いが届いていくんだ」
 ミラーシェードを外したショウはラティエラと肩を並べ、火が消えていくのを見守る。願いが叶うたび夜が濃くなる。暗く、静かで、月の光が優しい夜。
 二人はぽつぽつと言葉を交わした。互いの故郷にはもう足を運び、親との挨拶も済ませていた。ショウはこれからもしばしばアフリカに赴くと決めていたし、それは当然、ラティエラと共に過ごせない時間を作るという事だけれど。
「いる場所が遠くても、私達なら大丈夫だって信じられるよ」
「僕もだ。もちろん、可能な限り寂しがらせないようにする」
「うん。それで十分」
 寄り添う二人。春先の夜はまだ少し肌寒いが、それだけ互いの体温を、互いの存在を感じられた。
「ショウが望んでくれる限り、私は共にいたい。私の生きる場所は、キミの隣だ」
「僕だって同じだ。ラティエラ。‥‥だから」
 ゆっくりと呼吸すると、ショウはポケットからベルベットの小箱を取り出す。指輪入れだ。それに視線を落とし、それからショウを見上げるラティエラ。
「できたんだ?」
「ああ。‥‥サプライズみたいな事はできなくて済まないが」
「薬指のサイズを聞かれたら、ね。いいんだ、そういう所も好きだから」
 箱の中のささやかな輝きは、将来の約束の証だ。左手の薬指に嵌め、見つめる。透明なダイヤモンドは、願いの火を反射してオレンジ色に輝いていた。
「‥ありがとう。愛しているよ、ショウ」
「ああ。愛してる、ラティエラ」

「消えましたね」
「消えたな」
「みんなのお願い叶うといいねー」
 ハルキュオネと保介、ダニエルは、海岸の火の列が消えるのを最後まで見届けていた。
 消えた松明の列を眺め、保介は思う。ルークス教が真に世界を照らすものとなるために、エクソシストの祓魔はもう必要とされないのかもしれない。
(だが、俺は身軽だ)
 今後のわずかなSINNとしての活動を通じて、自分の足元から世の中を見直してみよう。そうすれば自然、分かる事もあるだろう。この先どうすべきか‥‥保介は二人を振り返る。
「あんたらはこれからどうするんですか」
「これからか」
「‥変わらないままがいいな」
 そう言うハルキュオネの表情は、少し寂しげだった。かつて彼女の両親が死に、それによりもたらされた『変化』というのを、ハルキュオネはもう望まない。退屈でもいい。これ以上何も変わらず、平穏であって欲しい――
 それがハルキュオネという子羊の望み。自分のための唯一の願い。
「あ、マッケランはチュンチュンと赤ちゃんできたのー?」
「‥‥‥何でそうなる」
「これから! でしょ? 赤ちゃんできたら教えてね! 見にく!」
「‥まあ。そうだな。できたら教えるよ」
 あっけらかんとしたその言葉に、ダニエルは頬を掻く。ポケットの中にはミモザのブローチ。大切な女への土産だ。
「じゃ、俺も連絡を楽しみにしてますんで」
「おちょくるな」
「ハハハ、心外です」
 保介の言葉は本心だった。ダニエル。人間同士の争いを収めるに、彼の技術は何より有用だろう。今後とも同僚として‥‥いや、友人でいられたら嬉しい。
「ホースケはまだなんだっけー?」
「ええ。相手を探す所からです」
 ハルキュオネはこれからもさして変わらなさそうだ。活動に誘ってみるか。彼女に通じる誘い文句を考えるのには、難儀しそうだが。
(ゆっくり前に進めたらいい)
 笑み交じりの息を一つ吐いて、火の消えた松明を背に保介は歩き始める。ハルキュオネもぽてぽてと続く。ダニエルも続こうとして、一度だけ海岸線を振り返った。
「‥ちゃんと伝えてくれよ」
 彼が火に託したのは、死した戦友への挨拶。マッケランの姓と共に戦場を駆け抜けた先、願う事は彼の魂の安息以外になかったから。
 海風が吹く。祭は静かに終わった。

「火運び、お疲れ様でした」
 声をかけられ、振り返るカーク。ガブリエラだ。
「お帰りですか?」
「ああ。誕生日は友人と祝いたくてな」
 日本にいる友人。昨日の花火も、友人と共に見上げた物を思い出していた。こうして落ち着いて過ごせるようになってから、初めての誕生日だ。
「そうなると、せわしなくありませんでした?」
「正直、少し。でも、この祝祭の中で、人々の思いと願いを見届けられて‥‥その様子をこの目で見れて、良かったと思うよ」
「そう言ってもらえれば何よりです」
 目を細めて笑うガブリエラ。
「それじゃあ」
「ええ。さようなら。また何処かで会いましょう」

●太陽の下
 祭も終わった翌日、マリクとエティエンヌはチェックアウトを済ませる。
「‥あ、これ。渡しそびれてました」
「うん?」
 マリクが差し出したのは、昨日買っておいたミカエルの護符だ。
「これって火遊びにも効くんですかね?」
「火遊びって、火を起こす側だろう? ミカエルの怒りを買う方じゃないかな」
「じゃあエティには意味ないかもしれません」
「マリクさんが買ってくれたなら、意味があるさ」
 ホテルを後にする二人。空は青く、高い。祭の撤収作業の中吹く風は暖かく、春が薫った。しばらく歩き、教会に辿り着く。二人はここでお別れだ。
「‥‥長いようで短かったですねえ」
「ああ。SINNとしての私は、良き友人と出会えて幸運だったと思う。ありがとう」
「よして下さい。お互い様ですんで」
「次に会う時は、SINNとは無関係な友人としてになるかな」
「ええ。そのうち逢えますよ」
「ああ。そのうちね」
 まるでまた明日会う約束をしているかのように、挨拶はさらりと交わされた。大仰な物なんて必要ない。だってこれから、時間はいくらでもあるのだから。

 ──時は現代。魔のものたちが潰えて後も、歯車は回り続ける。二つの針は新たな時を刻み続ける。
 SINN達が戦いの物語を終えても、彼らの日々は続く。しかし、これより先に祓魔の物語が語られる事はない。
 ゆえに私は、ここで筆を置こう。彼らがこれより先も、普通の、語るまでもない平穏な日々を過ごすことを祈って。
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